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私は、三人姉妹+その下の弟の4人姉妹弟で群馬で長女として育ちました。 次女とは3才違いで三女とは6つ違いです。 その下の弟とは8つも離れていたので、姉であり、ある意味保護者のような感覚で育つのをみていました。 そんな私を見ていた三女は、お姉ちゃんに預ければ安心だと思ったのか、甥が立教大学に合格し上京するときに、生活が心配だとし、いまだ独身の私の家に下宿させてくれと言ってきたのでした。 盆正月は必ず実家に集まる家族関係でしたので、その甥は幼い頃から見てきたので抵抗感はありませんでした。 朝夕食事代と家賃を合わせた下宿代として妹が4万円もくれると言ってくれたので、むしろ私的にも助かりました。 昼ごはんは学食で食べ、朝は勝手にトーストと目玉焼きなど自分で用意させ、晩ごはんだけ私が作り、一緒に食べるのもよし、勝手に食べるのもよしという条件で受け入れることになりました。 以前勤めていた横浜の会社で妻帯者の先輩との不倫がバレて、都内の会社に転職し、今の練馬に転居をした傷のある私は、その後、住み慣れた練馬で3LDKのマンションを買っていたのです。 なので、甥一人が増えたところで何ら支障がなく、男の子の面倒を見ることが責任が掛からない擬似母親体験のようで、少し嬉しくもありました。 そこ頃、既に51才になっていましたので、妹は、自分の息子から見て私が異性であっても、伯母さんだし何も問題など起こらないと思い安心していたのだと思います。 また、春になり実際に甥との同居が始まってからも、甥にとっては自分の母親より6才も年上の老いた行かず後家のおばさんでしかなかったのは事実だと思います。 それはそうでしょう。 大学に行けば、若くてピチピチした女の子達がたくさんいるわけですから。 数ヶ月が経ち。入ったサークルで仲良くなった女友達もでき、甥は正に青春を謳歌している様子でした。
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