{emj_ip_0328}外国人専用スレ@
【初めての方へ】
サモル
への挨拶無し等の常識外れな巡回投稿は、止めて下さい。
また、皆さんへの挨拶が 基本と考えています!
(専用スレの方は除く。)
御理解頂けない方の 貼り付けは御遠慮下さい!
[禁止事項]
・
宣伝
は、即書き込み禁止処分にします。
・
違法ファイル
・
無修正画像
の投稿は禁止。
また、露骨な
モザイク
や
ボカシ
が入っている画像は、修正済みでも不可。
・
ロリ
(
幼児
・
児童等
)の動画像や
児童ポルノ
(
18歳未満の画像
[
JS
・
JC
・
JK
])の動画像も投稿禁止です。
また、誤解を招く
JKコス
と思われる
(制服はもちろん体操着(ブルマ)、スクール水着も指します)
の動画像も投稿禁止とさせて頂きます。
[理由]
最近サーバーポリスのパトロールが厳しい為です。
今まで黙認して削除して来ましたが、
禁止事項
を読んでいない様なのでスレ内にも
禁止事項
を表示することにしました。 それでも、改善されない場合は、
アク禁
にします。
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]
SharaPoro
🏡
📱Safari
🕐2020/05/26 00:10
サモルさん
皆さんドモッ!!お疲れさんm(_ _)m
今週は競馬の日本ダービーがあるがその昔…………
◆第57回日本ダービー・G1(1990年5月27日、東京競馬場、芝2400b、良)
優勝 アイネスフウジン(中野栄治騎手、美浦・加藤修甫厩舎)
2着 メジロライアン(横山典弘騎手、美浦・奥平真治厩舎)
3着 ホワイトストーン(田面木博公騎手、高松邦男厩舎)
初めてのダービー体験から30年になる。株価下落を目の当たりにしながら、まだバブルの
余韻を引きずっていた1990年。大相撲は若貴の活躍に沸き上がり、コンビニのスイーツコ
ーナーには「ティラミス」が並んでいた。
日本中央競馬会からJRAに変わって4年。空前の競馬ブームがやってきた。「好奇心100%
の競馬です」というキャッチコピーで、柳葉敏郎、賀来千香子を年間CMキャラクターに起
用。こののちに大ヒットする名曲「会いたい」をリリースした沢田知可子の「Live on
the turf」の軽快メロディーがマッチした。まさに、押せ押せ。その中心にはデビ
ュー4年目、21歳の武豊がいた。
ヤングジョッキーが主役だった。皐月賞を制したハクタイセイは、手綱を執った南井克巳
(現調教師)がロングアーチに騎乗するため、日本ダービーでは武豊が騎乗。1971年にヒカル
イマイで勝った田島良保の23歳7か月を更新する、JRAのダービー史上最年少制覇がかかって
いた。1番人気は5年目の関東のホープ横山典弘が騎乗するメジロライアンで、2番人気は武豊
のハクタイセイ。その陰でキャリア20年37歳のベテランが静かにチャンスをうかがっていた。
皐月賞2着馬アイネスフウジンの中野栄治(現調教師)だった。競馬記者2年目で、初めての美浦
トレセンがダービーの取材。「アイネスフウジンの1分間の心拍数は22」それが当時の最強馬
オグリキャップをしのぐ数字と聞いただけで、迷わず本命を決めた。
最終追い切りの直後だった。「勝手に持っていきやがったな…」表情を崩しながら、小島太
(現本紙評論家)がステッキを探していた。中野が小島のステッキで調教をつけていたことが
わかった。2人のやりとりを見ている記者は、ほかにいなかった。「ダービー2勝ジョッキーの
運を借りたのか―」独りよがりの原稿から3日後、アイネスフウジンは2分25秒3のダービー
レコードで逃げ切った。スタンドには、今後も破られることのないであろう入場人員レコード、
19万6517人が待ち受けていた。期せずして起こった「ナカノコール」は、競馬新時代の到来
を告げる号砲だった
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皆さんドモッ!!お疲れさんm(_ _)m
今週は競馬の日本ダービーがあるがその昔…………
◆第57回日本ダービー・G1(1990年5月27日、東京競馬場、芝2400b、良)
優勝 アイネスフウジン(中野栄治騎手、美浦・加藤修甫厩舎)
2着 メジロライアン(横山典弘騎手、美浦・奥平真治厩舎)
3着 ホワイトストーン(田面木博公騎手、高松邦男厩舎)
初めてのダービー体験から30年になる。株価下落を目の当たりにしながら、まだバブルの
余韻を引きずっていた1990年。大相撲は若貴の活躍に沸き上がり、コンビニのスイーツコ
ーナーには「ティラミス」が並んでいた。
日本中央競馬会からJRAに変わって4年。空前の競馬ブームがやってきた。「好奇心100%
の競馬です」というキャッチコピーで、柳葉敏郎、賀来千香子を年間CMキャラクターに起
用。こののちに大ヒットする名曲「会いたい」をリリースした沢田知可子の「Live on
the turf」の軽快メロディーがマッチした。まさに、押せ押せ。その中心にはデビ
ュー4年目、21歳の武豊がいた。
ヤングジョッキーが主役だった。皐月賞を制したハクタイセイは、手綱を執った南井克巳
(現調教師)がロングアーチに騎乗するため、日本ダービーでは武豊が騎乗。1971年にヒカル
イマイで勝った田島良保の23歳7か月を更新する、JRAのダービー史上最年少制覇がかかって
いた。1番人気は5年目の関東のホープ横山典弘が騎乗するメジロライアンで、2番人気は武豊
のハクタイセイ。その陰でキャリア20年37歳のベテランが静かにチャンスをうかがっていた。
皐月賞2着馬アイネスフウジンの中野栄治(現調教師)だった。競馬記者2年目で、初めての美浦
トレセンがダービーの取材。「アイネスフウジンの1分間の心拍数は22」それが当時の最強馬
オグリキャップをしのぐ数字と聞いただけで、迷わず本命を決めた。
最終追い切りの直後だった。「勝手に持っていきやがったな…」表情を崩しながら、小島太
(現本紙評論家)がステッキを探していた。中野が小島のステッキで調教をつけていたことが
わかった。2人のやりとりを見ている記者は、ほかにいなかった。「ダービー2勝ジョッキーの
運を借りたのか―」独りよがりの原稿から3日後、アイネスフウジンは2分25秒3のダービー
レコードで逃げ切った。スタンドには、今後も破られることのないであろう入場人員レコード、
19万6517人が待ち受けていた。期せずして起こった「ナカノコール」は、競馬新時代の到来
を告げる号砲だった