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ゆーや
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12/06 20:39
最後まで読んでいただけると幸いです。
弊社は京都の西陣で金襴と言う織物を織っています。
「西陣織」と言う名称はかなりの方がお耳にした事があると思います。「西陣織」と言う織物は多種多様で、その企業によって様々な特色があります。
しかし、「西陣」という地名があるわけではありません。
「応仁の乱」で 西軍総大将である山名宗全が「西の陣」を張ったことで「西陣」と呼ばれるようになりました。「西陣」というのは「だいたいあそこらへんからここらへんまで西陣かな?」という感じの場所です。
「東の陣」が張られたのは相国寺の辺り。 細川勝元が陣を張りました。相国寺の池は今は網が張られて入れませんが30年ほど前には自由に入れて子供の「ザリガニ釣り天国」だったのですがある時に「この池は応仁の乱のときに血の池になったらしい」という噂が広まりそれ以降ザリガニを釣る子は居なくなったと。相国寺近辺は京都御所の真北ですが東陣とはいいません。
西陣の話に戻りますが、西陣は西陣と呼ばれる前から「京都御所近くの職人街」として織物業が盛んでした。寺社への荘厳の為に金襴が発展します。その後、高級絹織物は人を装飾するようになります。今、西陣織と言えば「帯」。その帯地の織りの複雑さと言えば素晴らしいものです。そこには温故知新、不易流行。古きを大事にし、新しい事を知る。伝統を守りつつ時代に合わせて進化させる。お客様の求める「新しい流行」を模索してきた先代たちの知恵と工夫が詰まっています。
西陣は世界でも珍しい位、高級織物生産地として続いてきました。
しかし、今西陣の製織業者達は苦しんでおります(製織業だけでなくて漆も彫金も友禅等すべてですが)。売り上げ減少による後継者不足、職人達が後継者を作ることが出来ず代々続いてきた職を手放さざるを得ない状況です。
確かに、西陣からは大きなブランドが出ていません。人はブランド力に惹かれます。後進国で大量生産された品物にブランドロゴを付けるだけで高価な品物に変化します。
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