雑談
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06/30 20:43
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文書
08/30 15:48
蓮華経と云う処方箋を作り衆生に示されましたが、衆生は妙法蓮華経と云う処方箋を勝手,h人・に解釈し弄ぴ、結果ご本佛が処方箋に示された「大良薬」を正しく作りそこねて誤った毒の薬を作り服してしまったのであります。ご本佛は塀の薬を含んだ衆生の苦しみを見兼ねて再度、勝応身して自からが作成した妙法蓮華経と云う衆生の生命に取て絶対不可欠な処方箋に従い「大良薬」即ち「本因妙大本尊」を「我今当設方便」為されたのです。此の「我今当設方便」された時、即ち「本因妙大本尊」を開眼された時が弘安二年十月十二日と云う日であったのです。何故、衆生に取っての大良薬を我れ慈父の御本佛、日蓮大聖人が「本因妙大本尊」と開眼銘名したかと云いますと本因妙の「妙」には必ず物質波としての法を具します。それ故に「色心不二」と云うのであります。そうして、それが全ての生命の形を生みなしていることはフランスの物理学者ド・ブロイ博士に依って近代物理の基礎理論として確立された所であります。.故に大本尊は「本因妙」なのであります。即ち、全生命の根本の用が本因である妙に存在するが為に「本因妙大本尊」と名付けたの、......... 0.”[ヽ... 9 ... ヽ・‘.. ゞ...い、.、、’,.. *.* ^ . ** ‘....~ .. であります。「方便品」の「法如是」の法は本因の妙に具した法を根本として展開する所のものであります。故に相・性・体・カ・作・因・縁・果は法に対する報いとして生じる所でありこれらは必ず等しく「本末究党」すると説かれているのであります。これは大本尊の一大秘法と云うはたらきであります。此処に示された本末の「本」は本因の「因」であり「末」は「果」であります。故に日蓮大聖人は「果」を正さんとすれば「因」を正せと仰せられているのであります。即ち生命の善になる全ての根本は「本因妙大本尊」のみに唯一、ご本佛が「今留在此」された「此大良薬」11本門の題目と一般に云われている「本門の波動」にあるのです。本門の佛教は本門の佛法である「本因妙大本尊」が全てであり「本因妙大本尊」の心色不二なる「妙法」に背くことを「謗法」と云うのであり「謗法」の「法」は「本因妙大本尊」の色心不二なる「妙」に背くことなのであります。
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